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2017年 07月 27日
私はずいぶん長いこと、「人に感謝する」ということの意味が よくわからなかったことだ。 もちろん謝礼をし、「人にはお世話になっている、感謝しなければならない」 と知っていて、口にも出していた。 それでも、本当の意味では、感情が沸いてくることはなかった。 一人でなんでもできること、を大切に 頑張ってきた背景があるからかも知れない。 不器用な両親は、4人の子供と忙しい仕事に追われ、 長女としての役割をいつしか私は、自分が受け取ることより優先させてきた。 愛情を表現された記憶は、「大事に育てられた」「愛されたはずである」 事実を知っていても感覚としては感じられず、または忘れていたようなのだ。 それは、本当は愛されなかったのではなく、 成長の過程で傷ついてきた心の傷、 肉体に残る記憶が、その愛情の記憶を打ち消し、いつのまにか、 苦しみも喜びもかんじないように させていたから、のようにも思う。 でも、誰かが支えてくれなければ、子供は育たない。 記憶の奥底に傷とともに忘れてしまっていた、 愛された記憶は、「痛みは悪いことではなくて、 私に何かを知らせてくれているサイン」 と変えようとすることをやめ、受け入れたときに、よみがえってきた。 「今の私の肉体、こころ、すべてがあるのは、 誰かがいて、何かがあって、支えてくれたおかげ、 今世の中にあるもののすべてと、自分は実際につながっているのだ」 というしごく当たり前のことが、腑に落ちてきたのは、 身体感覚的に、自分がここに今いることの 心地よさが、少し日常になってきた。 それは、やっぱりヨガとアレクサンダー・テクニークを 学んで、私が生きる力と感覚を取り戻したからだ、と思う。 痛みを感じないように、体を固めることを続けていることは、 感覚や感情は一緒にシャットアウトしてしまう。 愛情も感謝も、感度が鈍っていたと、今は気づいてきた。 生かされている、感謝できる喜びを知ると、 痛みも同じく受け入れていいのだ、と逆に気づかされる。 両方、ただ私に起こっている事実なのだから。 辛くなるのは、そこに「痛みはいけない」「感謝しなければならない」 という何か評価や色が加わってしまうからなのだ。 身体の動きから、自然な感覚を取り戻し、受け取る、 それはやっぱり、本来の人としての幸せの近道なのだな、 と改めて思っている。 ヨガとこころとカラダのこと、
by yogasouleiado
| 2017-07-27 07:29
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